So-net無料ブログ作成

『私の外国語』 梅棹忠夫 どこの旗の出身か [ホールド]






『私の外国語』は、大正生まれの梅棹忠夫と永井道雄の編集によるものだ。

本書は1970年発行ということで当時の状況も反映されている。現在のように海外の情報の流通が多くない時代に書かれた書だ。

買って読む必要がある語学本かといえば必要ないと答える。

梅棹忠夫を知りたいとか、人類学民俗学に興味があるとか、京都学派であるとか、読書が趣味とかいう人以外必要ないのでは無いかと思う。

梅棹忠夫と語学の立ち位置は、語学教師でなく、語学専門家でもなく、仕事に語学を使う人間というものだ。つまり海外赴任のサラリーマンのようなものだ。ただし態度として大きく違うところがある。


編者でもある梅棹忠夫は、実用としての語学を追求する人物で使う場から離れてしまえば忘れても構わないという考えを持っている。タイトルとして「生活と文化のなかの外国語<モンゴル語など>」となっていることからも窺える。


梅棹忠夫によれば、彼の習得した言語は京都語だけだという。

モンゴル語を体得する時期に蒙古自治邦の首都ということになっていた張家口市の西北科学研究所に入る。所長は今西錦司、次長は石田英一郎だった。乾燥アジアの学術研究の一大中心であった。そこは漢人居住地帯でありモンゴル人はさらに外長城線をこえてはるか北方の、ステップ地帯に住んでいる。そしてモンゴル人の中で生活をすることになった。目的は、馬に乗ることとモンゴル語を習得することだった。

一ヵ月して両方とも出来るようになって来たという。

外国語を習得するための、一番の早道は、「自分自身を窮地に追い込む」、これが彼の考えだ。また外国語を習得するには、現地で、現地人から習うべし、というのが、梅棹の考え方だ。

何も知らない人間に、現地で、短期間に、集中的に叩き込むのが、一番効果が上がるのではないか、と述べている。

梅棹がビルマに居た頃の話で、大変ビルマ語が上手いという評判の日本人について、あるビルマ人が批評していった言葉を、彼は思い出す。
「あの人はずいぶんビルマ語の本を勉強したらしい。あの人は文語を喋る。」


さて、梅棹は習得して来たという言葉よりも関係して来たと書く。

必要がなくなれば忘れてしまっても構わないという。一度モノにした外国語を、一生保持してゆこうなどと考えると、大変なことになる、というのがその理由だ。錆び付かせないために、非常なエネルギーと時間を必要とするからだ。


フィールドワーク系の人は、忘れても構わないという考えの人がいる。目的は言語習得ではないからか。梅棹の文章には、コツというものは書かれていない。何々するなということだけだ。彼のモンゴルの場合なら日本語を使うな、中国語を使うなといったものだ。モンゴル人の相手が日本語が理解できたり、中間の言語として中国語を介したりといったことをするなという。また、他の話で、現地の言語を使えという。英語やフランス語を使うのは言語的大国主義と非難している。



梅棹は、モンゴルには前後一年半ほどいた。終わりの頃には、モンゴル語にもかなり慣れて、一応の用は足りるようになった、という。あるモンゴル人の老人が、しばらく話をしているうちに、「あなたはどこの旗の出身か」とたずねてくれたときには、正直のところ、うれしかった、と述べている。

旗というのは、モンゴルの行政単位である。老人は、梅棹を、どこかのモンゴル人だと思っていたのだ。これは梅棹の考えであるが。この瞬間が嬉しかったのだろう。ただし冷静に考えると、あなたはある特定の旗だろうと指摘されるのと、どこの旗かと訊ねられるのとでは少し違う。梅棹に対しては何もないが、そういうことだ。実際に似たような経験をした人間ならこの感覚は分かるだろう。この時のモンゴル語はもしかしたら梅棹のいう京都語と日本語のようなものだったのか。あるいはその老人は違和感を感じず、本気でモンゴル人だと思ったのかもしれないが今となっては不明だ。



語学屋は梅棹の飛び込んで覚えろという部分は受入れられても、そこから離れたらきれいさっぱり忘れても良いという考えには賛成できない向きも多いだろう。この辺に職業の違いが出て来るのかもしれない。


梅棹忠夫といえば、ローマ字論者という側面もある。漢字廃止論族ローマ字派である。実はこれまでに梅棹の文章を引用しているが平仮名を漢字に変えて書いているところがある。漢字廃止論者だからなのか理由は分からないが平仮名が意外と多かった。ローマ字論者梅棹だが、これも文字をどうするかという語学の側面から見ていると何故梅棹がローマ字論者なのかを見失う。実際のところは不明であり、突然ローマ字論者になったわけでもないが、フィールドワーカーであったからというのも理由になりそうだ。ローマ字が入って来る前なら漢字廃止論者に留まっていたのかも知れない。仮名以前なら万葉仮名、更にはお経を漢字で書くという手法もあった。もう一つの理由として考えられるものにエスペラントがある。時間軸としてこれらがどう影響したのかは分からない。漢字仮名混じり文という外国人からすると奇妙な体系を使用しているのだが、もしかしたらこれが日本語にとっては最適なのかもしれない。話し言葉の中に既に書き言葉が入り込んでいる。ここで文字(漢字)を想起してしまうのが日本語だ。伝統とか昔の文献を読めるようにとかいう現状維持派に欠けている視点がそれである。




鬼 怒鳴門というキラキラネームのような名前を付けたドナルド・キーンがいう日本語の難しさは、改めて考えると実は日本人にとっても難しい。難しいという言葉には当然言語系統が別で難しいと冒頭で書かれているが、彼の世界は一般の日本人も普段意識しないことである。言ってみれば別世界を見ており、それで難しいと言っているのだ。



松田道雄のロシア語学習状況は当時の歴史が現れている。昭和7年(1932年)からロシア語を習い始めた。


山田晶はラテン語について書かれているが、教えることによって上達するという。最近流行のアウトプットのことだ。

アウトプットといえば、このブログもアウトプットになるのかも知れないが、外国語の上達には役に立たないであろう。



著者一覧(目次よりそのまま抜粋)

梅棹忠夫
飯田善国
池田健太郎
石井米雄
梅棹忠夫
大森実
小田実
加藤秀俊
木下是雄
國弘正雄
斉藤孝
高橋徹
竹内実
辻静雄
ドナルド・キーン
永井道雄
堀越孝一
増田義郎
松田道雄
山田晶
湯浅叡子
永井道雄

私の外国語 中公新書


nice!(0) 
共通テーマ:資格・学び

nice! 0

ホーム

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。